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◉SHORINJI KEMPO/少林寺拳法とは?

「少林寺拳法」は、1947(昭和22)年、日本において少林寺拳法初代師し 家け ・宗道臣(以下、「開祖」という)に

より、社会に役立つ人づくりを目的とした「教え「」技法「」教育システム」の体系として創始されたものです。 からだ

自分の身体と心を養いながら、他人とともに助け合い、幸せに生きることを説く「教え」と、自身の成長 を実感し、パートナーとともに上達を楽しむ「技法」、そしてその教えと技法を遊離させず相乗的に人間力 を養うための「教育システム」が一体となっています。

人間は、生まれながらにして、どのようにも成長していける可能性を秘めています。少林寺拳法は、そ の可能性を信じて自分を高め続けられる人、周囲の人々と協力して物心両面にわたって豊かな社会を築く ために行動できる人を育てています。

◉開祖の志とは?

少林寺拳法創始の原点は、平和で豊かな社会を願って人づくりを決意した開祖の志にあります。

開祖は、戦時中およびその前後の社会を自らの感性と体験を基に洞察し、人間教育こそが平和で物心共 に豊かな社会実現のための基本であることを悟りました。そして、武道の修練をベースとする独創的な人 間教育の体系を成す「少林寺拳法」を創始しました。 

 

以下、初代道院長のお言葉です。

当時、敗戦による混乱から秩序はすたれ、不正と暴力がまかり通っていました。 開祖は、中国で学んだ拳技をもとに、自らの理論による独自の拳法をあみ出し「少林寺拳法」と命名、これを人づくりの手段として、「自己確立」と「自他共楽」の教えを説きました。

 

少林寺拳法は人づくりのための「行」である

少林寺拳法は、「 金剛禅総本山少林寺」に伝承される護身練胆、精神修養、健康増進の三徳を兼ね備えた宗門の行です。

少林寺拳法には、勝敗を争う試合というものはありません。 「半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを」・・・これが少林寺拳法の理念を表した開祖のことばです。 技術を身につけることで、イヤなものはイヤと言える自信と勇気を手に入れ、なおかつ、人と人とが協力しあうことの楽しさと大切さを学ぶことに修練の目的があります。こうした開祖の理念が、拳禅一如・力愛不二・守主攻従・不殺活人・剛柔一体・組手主体といった少林寺拳法の特徴に反映されています。

 

少林寺拳法は護身の技術である

少林寺拳法は、剛法・柔法・整法(整骨法)の三法二十五系より成り立っています。突き・蹴り主体の剛法も、抜き・逆・投げ・固めが主体の柔法も、その技法は守りと反撃からなる護身の技術です。 よって体格の大きさや力の強さに頼らずとも相手を制することができるよう合理的に構成されています。

 

組織と普及状況

 

少林寺拳法の関係団体には、少林寺拳法の普及を通じて社会に寄与する「一般財団法人 少林寺拳法連盟」の他に、開祖が提唱した金剛禅の教えを広め、門信徒を教化育成するための「金剛禅総本山少林寺」、少林寺拳法の指導者を育成する為の「学校法人・禅林学園/日本少林寺武道専門学校」、「少林寺拳法世界連合(WSKO)」、「一般社団法人 SHORINJI KEMPO UNITY」がある。 ちなみに、少林寺拳法連盟の登録会員は180万人で、日本国内には約2,813の所属がある。また、海外38ヶ国(日本以外)にも普及し、WSKOによって各地区講習会や4年に一度の国際大会なども開催される。

金剛禅について

金剛禅の教えは、生きている人間が、拳禅一如のたゆまぬ修行を積み、まず真に寄り所とできる 自己を確立し、半ばは他人(ひと)の幸せと社会の発展のため役立つ人間になろうというものです。

 

そして人間どうしの拝み合い(尊重)と援け合い(協力)に より、平和で豊かな理想社会を実現するため、積極的に行動・実践していこうと説いています。
天国や極楽はあの世にあるものではなく、この世につくるべきも のです。それは神仏がつくるのではなく、人間が協力してつくりださなければならないものなのです。
人間の心の改造と平和的な手段によって、地上天国を実現 させようというのが、金剛禅の主張であり、この道を行じる私たちの願いであります。

 

金剛禅では、宇宙のすべてに関わり、それを動かす大いなるはたらき・法則を、「ダーマ」と呼び、ダーマを信仰の中心としています。「ダーマ」(Dharma)は、サンスクリット語(梵語)から来ており、通常「ダルマ」などと発音されますが、金剛禅では、禅宗の祖師である達磨大師との混同を防ぐため「ダーマ」と呼びます。 「ダーマ」は「法」「真理」などとも訳されます。もとより、ダーマは本来、拝んでご利益を求めるための祭祀や礼拝の対象になるものではありません。開祖の「我々は生きているんじゃない、生かされているんだ」というお言葉がこのダーマを象徴していると言えるでしょう。私たちは自分の可能性を信じ、たゆまぬ修行によって「生かされていること」を実感し、力愛不二、不殺活人の精神の下での二人一組の組手主体の修練を通じて、他者へ、社会へとこの理解を広げていくことをめざそうとしています。

 金剛禅の修行は剛法、柔法といった易筋行にとどまりません。肉体的な修行には休養、食事、排泄まで含まれます。
また、調息、座禅や信仰の確立、問法修学、反省、感謝、持戒といった精神的な修行も金剛禅の修行なのです。
つまり道院で修練している時に限らず、生活の全てが修行です。

 「動禅」という言葉がありますが、金剛禅においては「生活そのものが動禅」なのです。
「金剛禅の教えを実社会、日常生活に活かすことが動禅」です。
そのように考えていますので、二人一組で修練している時もそれは単に”技”の修錬にとどまらず、人間関係や日常生活における気付きを得るための修行なのです。金剛禅の修行は仲間との関係や日常生活、地域との関わり方等が良く変わっていく・・・これが「動禅」です。

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